京都の庭園を基準にしたこと  




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なぜ京都との庭園を比較対象にしたのか。
東京は日本有数の庭園都市、敢えて京都と比較する必要があるのか、という疑問も出てくるかもしれません。
ただ、やはり個人の嗜好も大きく影響するのですが、
全般的な水準で東京の庭園は、京都の庭園に比べると見劣りする感は否めないと思います。
東京で「良い庭だったな」と思っても、その後で京都の「普通」の庭園を観ると、無言・・・・という状況もしばしば(笑)。
反対に京都ではそれほど感動しなかった庭も、東京の庭ばかりを観てると「本当はすごかったんだなぁ」とあらためてその良さに気付いたり。

確かに東京にも庭園は多く、中には洗練された庭園ももちろん存在しますが、
京都の水準と比較して鑑賞に堪える庭こそが、本来は日本庭園としてのあるべき姿で、訪れる価値があるんじゃないのかなと。

あらためて東京の庭、特に枯山水や露地庭でがっかりしたのは、某寺院を訪れたときでしょうか。
ただ白い砂に石を置いただけならまだしも、その砂の上に植木鉢まで置いて「これが枯山水です!」と謳っているとしたら、
「いや、これが日本の枯山水と思われたら、とんでもないだろ」と思いました。

露地庭や料亭の床の間も同じく。せっかくのわびさびの空間に焼き物のアヒルやタヌキを置いたり、
ある料亭の床の間では、家宝かどうか分からないような極彩色の壺や人形を所狭しと並べたり。

決して京都中華思想ではなく、庭を愛する者として「このレベルで庭や茶室、露地庭を売り物にしないで欲しい」という思いも込めて――。
敢えて京都の庭園と比べることで、全国的な水準を少しでも理解してもらえたら、と僭越ながら考えて、京都との比較を個人的な評価基準にしました。





江戸時代には全国の大名が屋敷を構え、明治維新後は日本を代表する貴紳や財閥が邸宅を構えた江戸、東京。
いまでも六義園や後楽園などの大名庭園が残り、三井や三菱など大財閥の豪壮な建築、要人の邸宅の後に建てられたホテルが存在するのは東京ならでは。
ただ庶民レベルまで浸透した庭園文化が残されていないのは不思議です。
江戸時代には御家人などの下級武士や商家にも洗練された庭が造られていたとの史実もあるようですが、
現在の東京にその文化は引き継がれていない印象も受けます。

大震災と戦災、そして首都としての驚異的な発展で庭を残す余裕がなかったという事情も分かりますが、
京都のようにいまの住宅や店舗のちょっとしたスペースに坪庭を造ってみようか、というような発想は皆無に近いのではないのでしょうか。
その辺の認識の違いが、庭に対するセンスや感覚に表れているのではと、個人的に思ったりします
(もちろん庭園文化だけが、その都市の文化水準を推し量るものではないので、それが都市の優劣につながるとは思っていません)。

ただ無知も恐いもので、自分が知らないところに名園がしっかり造られているのも事実。
東京・愛宕山の料亭醍醐の枯山水、関東まで目を広げれば鎌倉の一条恵観山荘の露地庭、
箱根の吉池旅館の洗練された池泉庭園と露地庭、日光の旧田母沢御用邸の雅やかな庭園などは文句なしに全国に誇るべき名園と思います。

妄言多謝





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