江戸時代初期の1641年に誕生し、
元禄文化などを華やかに彩った格式高い花街「島原(嶋原)」。
かつて揚屋(あげや)として営業していた角屋はいま、
「角屋もてなしの文化美術館」として当時の庭や部屋の様子を今に伝えてくれます。
暖簾には、角屋の「蔓三つ蔦(つる・みつつた」の定紋。
ちなみに揚屋は「太夫や芸妓を置屋から派遣してもらい、客に歌舞音曲を披露する場所」。
対称的に使われる「置屋」は太夫や芸妓を生活する場所です。
中庭
狭い空間に坪庭の要素を凝縮した中庭。木漏れ日がもたらす光と影の美しさを堪能できます。
主庭
松の間の前に拡がる主庭。臥龍松(がりょうのまつ)だけではなく、周囲の洗練された築山や茶室の意匠などは必見です。
堂々たる外観の角屋。内部の紅い壁は花街の色と思われがちですが、
元々は社寺の書院や客殿に使用された高級な壁を表すものだったそうです。
江戸時代の京都で、文化の中心的存在だった島原。中庭や主庭、
各部屋の意匠を見ればいかに洗練されていたかがわかります。
往年の角屋を偲ぶことができる「角屋もてなしの文化美術館」の存在。とても貴重です。
玄関から観た角屋の内部。とても広いことが分かりますが、
案内の方によると「この大きさのため、島原が衰退しても他に移築、移転することも、解体することもできず、
結果的に今に伝えることができました」とのことでした。台所の梁も見事ですね。
島原の東入口に当たる大門(おおもん)。いまや住宅地の中に残る遺構となっています。
島原はほぼ住宅地に、そして角屋は「美術館」になりましたが、
こちらは今でも営業を続ける輪違屋(わちがいや)。連綿と続く島原の品格を伝える素敵な建物と庭です。
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