島原・輪違屋 わちがいや  京都の庭園 MAP 島原・角屋 坪庭・露地 料亭の庭




日本で最高の格式を誇り、江戸時代の京都の文化を華やかに彩った花街「島原(嶋原)」。
輪違屋(わちがいや)は江戸時代の元禄年間(1688年〜)に置屋(太夫や芸妓を生活する場所)として創業し、
現在も置屋兼お茶屋として島原で唯一営業を続けています。

島原有数の揚屋(太夫や芸妓を置屋から派遣してもらい、客に歌舞音曲を披露する場所)だった角屋とともに、
古きよき時代の島原を今に伝えています。









伝統的な京町家の佇まいの輪違屋外観。現在の建物は江戸時代の安政年間(1857年)に建てられました。
十代目当主、高橋利樹(「高」ははしごだか)さんの著書京の花街『輪違屋』物語(PHP新書)によると、
以前は三階建で、大文字の送り火が家から見えたそうです。軒灯の輪違屋の定紋がシンプルでかっこいい。




  

輪違屋の玄関。自然木が使われた床の間、衣桁に掛けられた着物、掛け軸などなど全てが洗練されています。




  







一階の広間から障子越しに眺める坪庭。訪問した日には障子が開けられてなかったのですが、
窓から観る庭は額縁効果もに加え、
真夏の熱い陽射しを受ける庭の明るさとほの暗い部屋の内側との対比、光と影が美しかったです。









部屋から観る庭。廊下に付けられた欄干風の意匠が目を引きます。路地への入り口となる中門も大きな存在感。
広間は三方を庭に囲まれていますが、最初の庭以外の2つの庭は連続した露地となっているようで、
この中門が露地への入り口の役割を担っているようです。







部屋の角を曲がると、完全な露地風の庭









年代を感じさせる石燈籠と蹲踞(つくばい)で構成され、茶室(部屋)へと向かう順路がつくられています。









輪違屋の家紋が施された硝子の引き戸と暖簾。
こういうちょっとした意匠が伝統を象徴しているようで、個人的にはとても美しく感じます。
ところで輪違屋の内部では、道中傘の紙を張り込んで傘の図案を襖に描き混んだ二階の「傘の間」、
紅葉を塗り込んだ後で乾燥後に取り出し、その型に顔料などで着色した壁を持つ「紅葉の間」が最大の見どころなのですが、
これらの部屋は撮影禁止でした。傘の間の斬新な意匠、紅葉の間の幻想的な美しさは見事でした!




島原・角屋



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