一条恵観山荘  (神奈川県鎌倉市)  

東京・関東の庭園
  MAP  東京・関東の名園  岩城庄次郎の庭  

   玄関と茶室「時雨」 花手水とさまざまな風景





浄妙寺報国寺近くのこの場所に、京都から昭和34年に移築された一条恵観(えかん)山荘。
この何気ない簡素な茅葺きの入母屋造りの建物(一条恵観山荘=旧止観亭)と周囲に拡がる庭園は見れば見るほど、味わいが深まります。

一見、平凡に見える建物と庭ですが、なぜここまで人を惹きつけるのか。
単に「京都風」という形容を超えた、素人には説明しにくい「美」が潜んでいる気がします。

移築を監修したのは著名な建築家の堀口捨己ですが、作庭者については当初よく分かりませんでした。
山荘の前庭については、金森宗和(かなもり・そうわ)が造営した庭をこの地に復元したという情報は訊いていたのですが、
実際には誰がこの庭の復元を手がけ、玄関前の優美な庭を造ったのか――。

岩城亘太郎(いわき・せんたろう)と伝えているサイトもあったのですが、
先日、ロイヤルパークホテルの庭について少しインターネットを調べていたところ、
偶然にもここの庭が、古峯園ホテルニューオータニの庭園を手がけた岩城亘太郎の関係者、
岩城庄次郎の作品と書かれたこちらのサイトにたどり着きました(「止観亭」は一条恵観山荘の旧別名)。

岩城庄次郎のお名前は全く存じ上げなかったのですが、
岩城亘太郎の婿養子で、岩城亘太郎が興した岩城造園(現在は「岩城」)の二代目社長だったとのこと。
岩城亘太郎とともに七代目小川治兵衛の薫陶も受けたそうです(岩城亘太郎は七代目小川治兵衛の甥)。

作庭者に関係なく、美しい庭はその存在だけで素晴らしいのですが、これだけの庭を作り上げるのは
やはりそれなりの実績がある人なんだろうなぁと思っていましたが、
七代目小川治兵衛と岩城亘太郎と深い縁がある方の作庭と分かり、納得した気分になりました。









山荘の入り口に建つ御幸門。京都に山荘が置かれていた時、霊元天皇を迎えるために作られた門をそのまま移築したそうです。









この山荘は「茶屋」として造られているため、前庭は露地風の庭に












苔庭の中に蹲踞(つくばい)や飛び石が配置され、色が濃いめの石を敷き詰めた枯流れも












枯流れに架かる石橋、たもとに立つ鋭角的な石。ともに形も質感も色も選び抜かれて配置されていることがわかります。
観智院の庭のように、桃山時代の名残を感じさせるような華やかな作り









山荘の前に設置された蹲踞(つくばい)とそれに至る飛び石






時の重みを感じさせ手水鉢の左右には手燭石などの役石も配され、簡素ながら大きな存在感。
この蹲踞(つくばい)は、この庭の原型を手がけたとされる金森宗和の作品です。
金森宗和は、飛騨高山の城主の子息で、大徳寺真珠庵の茶室「庭玉軒」の珠玉のように美しい露地も手がけました
(宗和の菩提寺は、比叡山の額縁門で有名な京都・寺町通の天寧寺です)。









案内図にも記されている通り、「どこから観ても美しく見える」ように作られています。









建物の中は見学できなかったのですが、
屋根が醸し出すような田舎家の雰囲気とは対称的に、京文化の粋が散りばめられているようです。
この写真では少し分かりにくいのですが、障子の隙間から石灯籠が。
桂離宮のように屋内からも「魅せる」工夫が施されているのではないでしょうか。



一条恵観山荘は、天皇家に次ぐ名門、摂関家である一条家の養子となった一条昭良(出家後に一条恵観、後陽成天皇の第九皇子)が
京都の西賀茂に建てました。
一条昭良の兄は 修学院離宮を造営した後水尾天皇、叔父は桂離宮をつくった八条宮智仁親王です。

京都の西賀茂にあった一条恵観山荘は、一条昭良次男が興した醍醐家に引き継がれました。
醍醐家は摂関家(摂政、関白に就任できる五家)に次ぐ家格の「清華(せいが)家」(九家)。

摂関家は明治維新後に「公爵」(武家では徳川宗家など)、清華家は「侯爵」に叙せられた上位の家柄(武家では徳川御三家など)です。
長くなるのですが、摂関家は江戸時代まで宮家(親王)よりも上位とされました。
歴史小説などでは摂関家よりも宮家(親王家)が敬われた、
あるいは摂関家出身の皇太后が宮家出身者の皇后を嫉視したなどと書かれていますが、実際は逆ではなかったのでしょうか。
ちなみに親王の地位が引き上げられた明治維新後も、
皇族が臣籍降下する場合は、清華家と同じ「侯爵」あるいはそれを下回る「伯爵」とされました。
家格の序列は、摂関家>清華家≒親王家となり、いかに摂関家=公爵の存在が大きかったかが、ここからもわかると思います。

※摂関家→近衛、九条、一条、二条、鷹司の五家。よく「五摂家」と表現されます。

摂関家の出身者では、首相を務めた近衛文麿、清華家では、戦前の首相である西園寺公望(西園寺家)、
戦後では往年の大女優である久我美子(くが・よしこ)さん(久我家、こちらは「こが」と読みます)が有名ですね。







玄関と茶室「時雨」

山荘前の庭園だけではなく、玄関前の庭園や茶室「時雨」の円窓もハッとする美しさ






花手水とさまざまな風景

庭園内の至るところに設置された花手水。全部でいくつあるのか数えてみるのもおもしろいかも




  Copyright © Goto.N.  All Rights Reserved