明治中期から昭和初期に多数の庭園を残した七代目小川治兵衛。 南禅寺界隈を中心に多くの作品が残っています。 |
上の写真は、小川治兵衛に大きな影響を与えた山縣有朋の別荘「無鄰菴」。
東山を借景に取り入れた自然主義の庭は街中とは思えない開放的な趣。
「京都の庭はどうも陰気だ」と感じた山縣の思惑を汲み、日本庭園に新たな息吹を吹き込む斬新な庭を創りあげました。
七代目小川治兵衛に大きな影響を与えた明治政界の巨頭、山縣有朋。
初代首相の伊藤博文をしのぐ権力を掌握し、特に軍事、内政面で大きな足跡を残しましたが、
日本庭園での功績も計り知れないものがあります。
七代目小川治兵衛が山縣と出会っていなければ、
日本庭園に近代の要素を採り入れた「植治の庭」は生まれず、
山縣が無鄰菴を作っていなければ、南禅寺の別荘街も存在しなかったかもしれません。
上の無鄰菴(第三無鄰菴)の前に山縣有朋が造営した「第二無鄰菴」、高瀬川源流庭苑。
現在は「がんこフードサービス」が経営する「高瀬川二条苑」となっています。
この写真は、植治自身が最も好んだ視点から観た庭(スタッフの方に教えていただきました)。
これまで見学した植治の庭でいちばん感動したのは、
2024年に一般公開された對龍山荘。スケール、庭の構成、細部の造形など全てが最高でした。
作庭の年表
明治24年(1891年)? | 高瀬川源流庭苑 |
明治26年(1893年)? | 青蓮院 |
明治27年(1894年) | 並河靖之七宝記念館 |
明治28年(1895年)? | 南禅寺参道菊水 |
明治29年(1896年) | 無鄰菴 |
明治38年(1905年) | 何有荘 |
對龍山荘 | |
明治42年(1909年) | 京都市立美術館(現・京都市京セラ美術館) |
明治43年(1910年)? | 辻家庭園(旧横山男爵家別荘) 金沢市 |
明治45年(1912年) | 仁和寺 |
大正02年(1913年) | 大橋家庭園 |
円山公園 | |
大正04年(1915年)? | 料庭八千代 |
大正06年(1917年) | 桜鶴苑(旧・看松居) |
大正08年(1919年) | 白河院 |
大正09年(1920年) | 源鳳院 |
旧古河庭園 東京都 | |
大正11年(1922年) | 京都平安ホテル |
大正14年(1925年) | 織宝苑(現・流響院) |
大正15年(1926年) | 国際文化交流会館 |
平安神宮神苑 | |
昭和03年(1928年) | 十牛庵 |
野村碧雲荘 | |
昭和05年(1930年) | 国際文化会館 東京都 |
昭和08年(1933年) | ウエスティン都ホテル葵殿庭園 |
? | 青龍苑(霊鷲山荘) |
意外に時系列で小川治兵衛の庭を紹介するサイトがなかったので、作ってみました。
ただ鈴木博之氏著「庭師 小川治兵衛とその時代」や京都市、各所有者のサイトなどを確認しましたが、
真偽不明な?マーク以外の場所に関しても作庭開始と竣工が混乱していたり、曖昧な情報だったりもするので、
この表はあくまでも参考としてご覧下さい。確実な情報に順次更新していきたいと思っています。
蹴上から南禅寺に向かう途中に建つ何有荘(かいうそう)。洋館(現在は移築)や茶室、トンネルまである大邸宅です。
南禅寺周辺に建つ別荘群の一つ、流響院(旧織寶苑)。七代目小川治兵衛に特徴的な円形の飛び石
南禅寺参道菊水の名園。新緑、紅葉の季節の庭園は写真以上の美しさです。角度が変わるごとに趣も変わる味わい深い庭
南禅寺参道菊水の真向かい、現在はニトリホールディングスが所有する對龍山荘。名園中の名園で、紅葉の季節はさらに彩りが豊かに。
桜鶴苑(旧・看松居)の庭は「松」が主役とされていますが、つつじの刈込も見事です。
最晩年に作庭されたウェスティン都ホテルの「葵殿庭園」
「無鄰菴」の横にある国際文化交流会館の庭も七代目小川治兵衛の作庭とされています。
京料理と旅館で有名な「八千代」の青龍庭園
岡崎・平安神宮界隈
平安神宮神苑。小川治兵衛が作庭した中で、最も規模が大きい華麗な庭園の一つです。
京都市立美術館(現・京都市京セラ美術館)の庭も小川治兵衛の作庭。無料で見学できます。
並河靖之七宝記念館の庭園。民家に琵琶湖疎水の水を引いた最初の庭園と言われています。
市バス「法勝寺町」前にある白河院。日本私立学校振興・共済事業団の宿泊施設になっています。
山科伯爵の邸宅を活用した高級旅館、源鳳院。建物は改修されていますが、植治の庭が保存されています。
天台宗の門跡寺院、青蓮院の庭も明治中期に小川治兵衛が改修を手がけました。
隣接する粟田山荘もかつては青蓮院の境内に含まれていたようなので、
小川治兵衛の手が入っていた場所かなとも思うのですが、個人の勝手な臆測です。
粟田山荘
高台寺・清水界隈の庭園
「高台寺土井」の後を引き継いだ十牛庵の名園。石組みを流れる滝が植治らしさを感じさせます。
池を中心に三軒の茶室が配された青龍苑(霊鷲山荘)は立体的な庭園。無料で開放されています。
市民に親しまれている円山公園も七代目小川治兵衛の作庭。新緑の季節は予想を超える美しさです。
衣笠、御室界隈
仁和寺庭園。小川治兵衛の作品で最も優美な庭ではないでしょうか。
京都御所界隈
京都平安ホテル。平坦な上京かみぎょうの街に段差を作った立体的な池泉庭園です。
伏見
大橋家庭園「苔涼庭」。大橋家と親戚筋の小川治兵衛が監修しました。
金沢の辻家庭園(旧横山男爵家別荘)。
鉄筋コンクリートの技術を駆使し、富士山の溶岩を使ってつくられた人工の「大滝」
小川治兵衛の足跡は関東にも。こちらは国際文化会館の庭園です。
駒込の旧古河庭園。関東で京都風の庭園を堪能できる貴重な場所です。
冒頭で「七代目小川治兵衛が山縣と出会っていなければ」と書きましたが、
植治が山縣とめぐりあっていなければ、開放感を前面に打ち出した日本の近代の庭は、生まれていなかったかもしれません。
ただ個人的に植治の庭は、政治家ではなく、開放感に立体感も加えた十牛庵や粟田山荘(植治作と勝手に類推)、
のびのびとした池泉が拡がる何有荘など、
民間人(実業家など)の依頼で創りあげた庭の方がより自由奔放な個性を放ち、魅力的な印象も受けます
(政治家云々に関係なく、経験の積み重ねが理由かもしれませんね)。
このページの七代目小川治兵衛と山縣有朋の肖像と説明文は無鄰菴の展示から引用させていただきました。
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