苔寺(西芳寺)  

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苔寺の苔庭(黄金池、金剛池) 

地元では正式な名称より「苔寺」の通称の方が圧倒的に有名で、
その名の通り、境内全体が百種類の苔で覆われた見事な庭園です。
西芳寺は単に苔の美しさだけではなく、日本の庭園史でも極めて重要な存在。
室町時代(1339年)に天龍寺などの名園を手がけた高僧、夢窓国師が荒廃していた庭園を修復し、
当時を代表する画期的な名園として、
池泉庭園の周りに配された建造物(現存せず)とともに、金閣寺銀閣寺のモデルにもなりました。


 
金閣寺(鹿苑寺) 銀閣寺(慈照寺)  

金閣寺を造営した室町幕府第三代将軍の足利義満は、西芳寺に当時建立されていた「瑠璃殿」を参考に金閣(舎利殿)をつくりあげ、
第八代将軍足利義政は、祖父・義満の金閣と苔寺の瑠璃殿、
そして何より夢窓国師が手がけた西芳寺の庭を手本として、銀閣寺を創建しました
相国寺(銀閣寺は相国寺の塔頭寺院)のホームページには、銀閣=観音殿は金閣の舎利殿を参考にしたと書かれていますが、
庭に関しては西芳寺との類似性があるので、義政が西芳寺を模倣したことは確かと思われます)。


当時の西芳寺は瑠璃殿を中心とする池泉庭園で、いまの姿とは違い、
池に浮かぶ島には松の木が植えられ、苔ではなく白砂が敷き詰められていたそうです。
ただ西芳寺はその後、戦乱や洪水などで多難の時代を迎え、
江戸末期には庭園も夢窓国師が造営した当時の姿から大きく様変わりし、庭は苔で覆い尽くされてしまいました。
ある面その荒廃、特に洪水がいまの西芳寺=苔寺を作り上げるきっかけになったとも言えます。

苔に覆われながらも、夢窓国師が作庭した当時の姿も伝える苔寺の名園。
現在の西芳寺は、苔の美しさと日本庭園の歴史の息吹を今に伝えます。

池泉庭園以外で特筆に値するのは、上段の庭の石組み(2023年時点では非公開のようです)。
水を使わない「枯山水」の庭園の原形として、庭園史上で大きな歴史的価値を持っています。




苔寺の風景 ―苔の芸術―






苔寺・上段の庭の枯山水と石組(洪隠山枯滝石組、龍門爆、鶴島亀島)   with Yuky R





苔寺の茶室と露地(湘南亭、潭北亭、少庵堂)   with Yuky R





苔寺の紅葉



 【苔寺拝観記】



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