臨済宗の総本山が名前を連ねる「京都五山」の禅刹。
時の権力や皇室とのつながりという仏教の教義から全く外れた視点から制定された五山という言葉、
臨済宗を代表する大寺院が軒並み顔を並べているので、便利な「括り」なのですが、
いまだにその序列が強調されすぎて、A寺はB寺よりも格下なのかという誤解につながるなど、少し時代錯誤のような気もします。
京都では昔から各寺院の性格を一言で表して、
相国寺の「声明づら」(独特の読経?)、建仁寺の「学問づら」、
東福寺の「伽藍づら」などと呼んできたようにそれぞれ強烈な個性を放っていますが、
どこも禅宗の寺院に共通の伽藍配置、雰囲気を残し、他の宗派の寺院とは異なる趣が個人的にはけっこう魅力的。
京都、そして日本の学問や文化や政治に多大な影響を与えてきた歴史と伝統を誇り、
うまく表現できないけど、あまり「抹香臭く」ないところがいいのかもしれません。
ちなみに京都五山に列されていた万寿寺はいま廃寺となり、当時の形では存在していません (東福寺の塔頭として残存)。
また厳密に言うと南禅寺は京都五山と鎌倉五山の上に置かれたため五山制度の「別格」となるのかな。
大徳寺と妙心寺は五山制度に組み込まれていなかったので、五山には含まれません。
南禅寺
南禅寺界隈の別荘
天龍寺
相国寺
金閣寺 銀閣寺
建仁寺
建仁寺・祇園界隈の庭
東福寺
大徳寺
妙心寺
大徳寺と妙心寺は室町幕府による統制下に入らなかったため、「林下」(りんげ)と呼ばれました。
室町時代に隆盛を誇った五山の勢力が衰えた後も大徳寺と妙心寺は崇敬を集めたため、
大徳寺は五山とは別の独自の道を歩んで茶道などで大きな影響を残し、
妙心寺は臨済宗で最大の勢力を誇るようになりました。
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